本当の豊かさとは少なくとも経済的に豊かであることだけではありませんよね。夢をかなえるというとき、単に財布を豊かにするのではなく、わたしたちは人生を豊かにしたいのです。

人生にはいろいろな要素があります。経済性はその一面に過ぎません。人間として生きていく人生は、状況によって役割が決められることが多く、状況毎に求められる条件が異なってきます。

家ではお父さんでも会社に行けば社員です。客先に出向けば営業担当でしょう。お母さんは家では主婦、学校に出かけてはPTA、近所の知り合いの間では奥さんでしょう。役割が時と場所で変化して、その度に豊かさの基準は変化します。

名誉や友情、なぐさめと敬意。人間としての豊かさはこれらのものをもたらします。逆にこれらの要素に豊かでなく、貧しく枯渇してくると生きていく動機が失われていくことになります。

名誉が大切でない人間関係に身を置くと、だんだんと気持ちがさもしくなります。友情が感じられないと孤独にさいなまれます。なぐさめがないなら、立ち直れません。敬意を感じられない人間関係を気持ちよく感じることはできないでしょう。

これらの要素は科学的に扱える定量的なものではないため、科学的なアプローチが困難です。そのために実証的な手法の研究は限られており、マニュアル化することができません。ほとんどの場合は一面的なノウハウになったり、倫理的な規範になったりしてしまうのです。

だからといって、山のように積み上がった種類の知識を学習したり、高度な技術を習得しなければならないとしたら、そもそも夢は遠のくばかりに感じられます。そのように感じるのは自然です。だからこそ、コミュニティは専門家に任せてしまう人が多いのです。

多くの人がコミュニティに失望し、諦めています。そしてさまざまな人間的な苦痛を甘受しています。周りにはそのような人の不平と不満が渦を巻いているように感じます。電車の中で、居酒屋で、あるいは公園でお互いに求め合っています。

それでもこれらの要素を充実してあらゆる面で豊かになるためには、そのための有効な方法が必要です。困難に立ち向かう勇気が必要でしょうか?不要です。無限の能力がないから?そんなもの誰も持っていません。

必要なものは自分のコミュニティです。自分のコミュニティがあれば、周りは自分の味方、必要に応じて支援してくれます。敬意をもったコミュニティにしたければ、そのように作れば良いのです。必要なものを供給できるコミュニティを育てれば、自分に恩恵を与えてくれるようになります。

そのコミュニティは、参加者のすべてに同じように機能するはずです。参加者全員に同じように機能するなら、コミュニティは自分で育ち始めて大きくなり始めます。だから最初から大きなコミュニティを目指す必要はありません。

最初は小さなコミュニティで始めましょう。時間と手間をかけて育てていくのです。さまざまなイベントを通じてコミュニティは成長します。現実の子供のように、成長の過程で多くの問題に直面して、コミュニティは問題解決能力を身に着けていきます。

大きなコミュニティではなく、自分のためのプチコミュニティは多様な生活の場を実現してくれるのです。