現在の日本でコミュニティが意味するものは、どこかで会合を持つような集団ではなく、インターネットなどで繋がる一定のグループのことになっているようです。

インターネットで形成されるコミュニティを中心にして展開される会合を「オフ会」などと名づけて、ネット社会の外へと拡大しつつあり、もはや歯止めもないような状態になってきています。

しかし、このようなネット中心のコミュニティには問題があり、社会的にも注目を集めつつあるのです。それは犯罪の温床になりかねないという危険性です。そこにはイジメの問題も深く関わっているようであり、一概に扱うことの難しさが露呈しています。

原則的にインターネットでは個人を特定することはできません。これが様々な問題を引き起こす可能性を高めています。つまり「匿名性」がインターネットの本質であって、匿名性が個人を覆い隠してしまいます。

結局、いつも隠れた場所から発言できることは無条件に有利な立場を提供しますから、自分は弱い立場に置かれてしまうことになります。ネットでは信頼もバーチャルになってしまうのです。

生身のコミュニケーションでは言葉だけではなく、相手の表情、雰囲気も利用して、私たちは理解します。ネットではこれらの情報が提供しなくても成立します。

インターネットを前提にして育った世代であっても、インターネットが提供している世界はバーチャル(仮想)であり、現実世界ではないことを理解しているはずです。

しかし、現実世界で生身のコミュニケーション能力を十分に発達させる機会が少なかったためか、一面ではどちらにも十分に帰属できない、全面的に信頼することができていない人も少なくないように見受けられます。相手がわからないという不安な緊張状態では相手を信頼する能力が育つことがありません。

それに対してプチコミュニティは対面コミュニティであり、コミュニケーションサイズが十分小さいという条件がコミュニケーション能力を高めることに貢献するはずです。

それほど多くない人たちとの信頼関係を維持する経験が、新たな局面で、新たな人間関係を信頼して形成する能力を育てることに役立ちます。

ここで説明した内容は私が現在関わっている若者たちにもそのまま当てはまります。彼らは決して学習能力が低くありません。むしろ高度に教育された結果です。

共通して観察される様子は彼らが大人社会に対する失望を抱え込んでいる行動でしょう。ただ、失望してはいますが、なんとか解決する方法を模索する気持ちが見え隠れするのです。

そのような心情に支配されている彼らが持っている、信頼できる人たちの関わりが欲しいという欲求は暴走するほどの力を持っています。これは時々に扱いづらいと思われる行動になったり、時には犯罪行為として問題になったりするのではないでしょうか。

人との信頼関係を作るためには、まず自分が相手を信頼して、その信頼を表現することから始まりますが、彼らはその手順を学んでいないのです。

さらに、よく知らない人を信頼するにはリスクを抱える勇気が必要です。だからこそ、ここに経験が豊かな大人の必要性があります。

親密な関わりを構築する手順を提示すれば、彼らは比較的従順に学習を進める傾向があり、しばらくすると自発的な行動を始められるようだとわかりました。

家族以外の親密な関係にある大人がコミュニティに必要です。上手くできれば、コミュニティは社会的不満に応える場所になる可能性を持っているといえるでしょう。