人間同士が関わる、人間として誰かと関わりを持つことは簡単なようで以外な難しさを持っています。一人の人としてコミュニティの中で活躍しようと考えると、この難しさに直面することになります。

人間として誰かと関わりを持つときの難しさとは、実は「孤独」と深く関わっています。経験しなければ想像が及びませんが、先が見えない孤独は恐ろしく、人間同士の関わりを破壊します。

人は孤独になると自殺しかねません。アメリカのアンケート調査によれば、人が、不幸や不遇を感じる要件は「空腹」「寒さ」そして「孤独」の3つです。この結果は日本人でもおそらく同様でしょう。

しかし、空腹や寒さが問題になることは、正常な社会生活を営んでいる人が現代日本で問題にすることはないでしょう。アメリカなどと比較すれば、日本の社会密度は緊密ですし、行政の対応がある程度は効果していると思われます。

消去法で残されるように、孤独が現代日本で人を不幸に追い込む大きな原因なのです。孤独は、行政で扱えませんが、人との関わりの問題ですから社会的であり、個人が引き受ける点では人間的です。

一時的に孤独に苦しめられることは誰しも経験するでしょう。それらの経験のほとんどは期間を予測することができたのでやりすごすことができました。しかし、いつまでなのかが予測できないと、人は絶望感を覚えるのです。

いつ過ぎ去るのかわからない孤独は大きなストレスです。このように大きなストレスにさらされ続けると脳細胞がダメージを受けてしまい致命傷になりかねません。

物理的に一人だという孤独だけではなく、集団の中にいても必要とされないなら孤独を感じます。状況次第で無意識に孤独に悩まされるケースもありえます。無意識に孤独を感じていると、意味なく攻撃的な行動をとってしまったりと防衛本能が強く出ます。

誰も敬意を抱いていない存在は孤独です。周囲からの敬意があれば自分の立場を確認し、役割を果たすことができるでしょう。敬意を感じることができないとき、孤独な状況に置かれます。

周囲に人が多くいても関心を払ってくれない孤独はさらに厳しい事態を生むでしょう。このような状況に置かれるともはや自分の尊厳を傷つけられていると感じるはずです。

このような厳しい状況は日常に潜んでいます。所属する集団が変化すると孤独になることに注意しておきましょう。日常の中で慣れ親しんだ集団であっても、所属関係が変化することで孤独な状況に追い込まれます。

人が敬意を払ってくれるのは、必要とされているからです。つまり必要とされることが人間らしく生きる要件なのです。誰かに必要とされていると表現してもらえることです。

プチコミュニティは量ではなく質に焦点を当てるべきです。コミュニティの質は敬意の表現が明確に交換されることで高められます。多くの人から敬意を表されることは魅力的ですが、周囲の人たちから日常的に敬意を表されることによって、自分を高めることができるのです。この場合、多くの人である必要はありません。

自分を必要とするコミュニティは敬意を払ってくれるのです。必要とされるような人間に成れという道徳話ではなく、自分を必要するコミュニティを自分で作り出すことがポイントです。

自分を必要とするコミュニティが自分のコミュニティです。だからこそ自分のためのプチコミュニティが必要だといえるでしょう。小さいコミュニティながらも、日常的に敬意を伴った感情の交流が保たれているなら、それは人間として生き返るような経験が可能だからです。